守谷神社。 ここで神様を説得することができればすべてが終わる。 緊張した面持ちの文とお空であったが、お互いの顔を見合わせてひとつうなずくと覚悟を決め、長い参道を進みはじめた。 境内では風祝が賽銭箱によりかかって考え事をしていた。どこの神社も参拝者に飢えているのは同じらしい。 持参した酒を持たせて神奈子に会いたいと伝えると、彼女は本殿に上がるように勧めてくれた。 だが、八咫烏の処置で何が起こるかわからなかったため、境内で話をさせてもらえるようにお願いした。 「やあやあ、いつぞやの烏天狗じゃないの。深刻な面持ちをして何か用?」 数分後、陽気な声で神奈子が本殿の奥から出てきた。元々がフランクな神さまだ。外で話すことをまるで気にも留めない様子で話しかけてきてくれた。貢物が気に入ったのだろうか。いずれにせよ、機嫌のいいうちに早く話をつけてしまったほうがいい。 「単刀直入に言います。神様、この霊烏路空の体から八咫烏を引きはがしてはくださいませんか?」 「ほう……」 神奈子は風祝を下がらせた。表情がそれまでとはうってかわって険しくなる。 文はこれまでの経緯を説明し、頭を下げた。 「私たちは過ぎたる力を望みません。どうか願いをお聞き届けてくださいませ」 それをみて隣のお空もあわてて頭を下げる。 「それは天狗の総意とみてよろしいか?」 「いいえ。私と、この霊烏路空の意志です」 神奈子は考えていた。 空から八咫烏を抜き取ることはさほど難しくない。理由はわからないが、空の中の八咫烏の力が以前よりも弱まっているのが感じられた。力が弱まった原因を探り、以前の状態に戻す手間と、彼女を諦めてエネルギー改革の新たな方法を考えるのとではどちらが大変だろうか。 それに、神にもメンツというものがある。「天狗の総意ではない」という文の言葉はおそらく彼女の嘘だろうが、だとしてもこのような下っ端の烏天狗一人に交渉を任せたことが気に入らない。信仰を受ける身である以上は軽んじて見られるのは避けたかった。 「文といったわね」 「はい」 「幻想郷のエネルギーはどこから来ているのか知っている?」 「いえ、存じません」 「幻想郷のエネルギーは外の世界に依存しているの。その世界のエネルギーが入ってこなくなった場合のことを考えて、今から自給策を考えておくことが必要なのよ。お前の手前勝手で将来のエネルギー危機への対抗手段、ひいては幻想郷住民の利益を奪ってもいいとでも思っているの?」 「それは……そうかもしれませんが、しかし我々は何百年も前からこうしてやってきました。それこそ外の世界から隔離される前から殆ど変わらずに。力は使い用とは言いますが、人間は当たり前として、天狗も河童もきっとあなたが思っているほど賢くはありません。急激な技術革新が幻想郷に素晴らしい未来をもたらせるとは、私には思えないのです」 全体の利益を持ち出されると天狗は弱い。そう踏んだ上での神奈子の発言だったが、文は言葉に詰まりそうになりながらも食い下がってきた。 思うようにいかず、神奈子は少しいらだった 「幻想郷がもたん時が来てしまうのだ!それに」 彼女の視線がお空に向けられた。冷たいまなざしに威圧され、お空は泣きそうだ。 「その地獄烏は特別に自我が弱く、頭が空っぽだった。これほどまでに八咫烏の器に適した存在はそうあるものではないわ」 器。空っぽ。 まるでお空を道具としてしか見ていないような物言いではないか。文の中で何かが弾けた。 「お言葉ですが神様」 「何?」 「うーちゃん、いえ、霊烏路空は空っぽでも、神を入れるための器でもありません。あなたがた聡明な神々には拙く思えるかもしれませんが、きちんとした自我をもち、自分の頭で考え、自分の言葉をつむぐことができます。現に彼女はこうして私と共にここまで来たではありませんか。あなたは私の話をきちんと聞いていたのですか?」 文はまっすぐな瞳で神奈子を見据え、皮肉交じりに反論した。二人の視線が交じり合い、火花を散らす。 「神様、あの」 それまで黙っていたお空がおずおずと口を開いた 「わたし、バカだから二人の言っていることはよくわかりません。でも、すごい力を手に入れたら、誰でも調子にのって取り返しのつかないことをやっちゃうかもしれないなって思うんです。前のわたしがそうだったから……」 そういうことか、と神奈子は合点した。 お空の中の八咫烏の力が弱まりつつある理由、それはお空自身の自我だった。 後天的な神の力はその存在と一体となること、いわば憑依されたものの「思い込み」によってより強力なものとなる。 ところが、今のお空はその「思い込み」がほぼ解除され、独自の自我が形成されつつあるのだ。こうなってくると再び元の力を取り戻させるのは難しくなってくるだろう。 それにしてもあのどうしようもない鳥頭だったお空の変わりようには驚きを隠せなかった。傍らにいる射命丸文がそうさせたのだろうか。 天狗にしては度胸があるし、覚悟もある。一介の烏天狗と馬鹿にしていが、神奈子は彼女に対する評価を改めざるをえなかった。 そして目の前の二人の信頼関係は神奈子の心を動かしつつあった。彼女たちの姿は神奈子に自分と早苗を思い起こさせた。自分も早苗が理不尽に奪われるとなれば必死に抵抗するであろう。 そう考えればお空を手放したくないという文の気持ちもわからないでもない。 神奈子は荒ぶる神だが、鬼ではない。それに文は新聞記者だ。ここで八咫烏を解除して音を売ってやればその話を勝手に広めて信仰を集めてくれるかもしれない。 そう頭の中で算段を始め、神奈子がもう一度口を開こうとしたまさにその刹那。 「いたぞ!あいつだ!」 怒号と爆発音があたりに響き渡った。