透き通るような早朝の夏の空。 幻想郷の東の外れにある人気のない神社の境内からは、やかましいセミの声にまぎれて軽快な箒の音が聞こえてくる。 ここ博麗神社の主、博麗霊夢は今日も日課である境内の掃除にいそしんでいた。 当代の博麗の巫女は他人が言うほど怠惰ではない。 めったに姿を見せることのない参拝客のために境内の隅々まで綺麗に掃き清めるその姿は、まるでまだ見ぬ恋人を待ち焦がれる乙女のように健気で、どこか哀れである。 ようやく境内に散らばった落葉その他を集め終え、ふうっと一息ついたその刹那。 突如上空から暴風が吹き荒れた。 「おはようございます!毎度おなじみ文々。新聞ですっ!」 突如現れた闖入者によって掃き集めたゴミがあたり一面に舞い上がり、早朝からの巫女の努力までもが吹き飛ばされてしまった。 「ああっ!?あんた!なんてことしてくれたのよ!」 「あれ?ああ、掃除中だったんですね。あちゃー」 大変なことをやらかしてくれたわりに、その張本人には悪びれた様子はみられない。 「まあ新聞でも読んで一息ついたらいかがですか?」 にこにこと新聞を差し出す彼女に怒りをぶつける気力をねこそぎ奪われてしまった霊夢は、代わりに深いため息をひとつついたあと、だるそうに新聞を受け取り、ぱらぱらとページをめくってみた。 「定期購読したつもりはないんだけれどね」 「いえいえ、霊夢さんはいつもネタを提供してくれますから。サービスです」 「提供しているつもりもないんだけど」 霊夢は紙面から目を離さないまままゆを潜める。 「それとあんた、その『霊夢さん』っていうのやめてくれない?」 「いけませんか?」 「いや、なんというかあんたに言われると調子狂うのよね」 霊夢は心底気持ち悪いといった顔でぽりぽりと頭を掻いた。 「うーん、ゼンショします。さて、私は次の配達があるので失礼しますねっ!」 「くぉら!それは何もしないってことだろうがこのバカガラス!!」 大きな羽根を羽ばたかせ、再び暴風とともに埃をまき散らしながら飛び去っていった彼女を目で追い、霊夢はつぶやいた 「変わったわね。あいつ」 == 妖怪の山。 幻想郷でもっとも高く、博麗大結界がなければおそらくこの国でも一、二を争う名峰と認識されていたであろうこの山の頂に、守矢神社は鎮座している。 その神社の主、八坂神奈子は縁側でぼんやりと空を見上げていた。 早朝の日光浴は彼女の日課である。 蛇の神でもあるだけに活動のために体温の上昇を必要とするのか、はたまた信仰をあつめるための奇策を頭の中で練っているのか。 いずれにせよ、その真実は神のみぞ知る。 ふと、神奈子は太陽の方角に黒い点があることに気がついた。 その黒い点はみるみるうちに大きくなっていき、羽根の生えた人型をとって舞い降りた。 「まいど!文々。新聞です!」 「ああ、ひさしぶりね」 黒い影の正体は新聞配達の烏妖怪だった。舞い上がる砂埃の中、二人は軽い挨拶をかわす。 「どう?調子は」 「私はいつでも絶好調!ですよ!ほら、このとおりぴんぴんしているでしょう?」 そういって彼女は新聞をつかんでいない左手をぶんぶんと振ってみせる。 いつでも元気ね、と若干あきれながらも、神奈子は新聞を受け取った。 「あの、私のせいで神様の計画が台なしになってしまって。なんというか、すみません」 ふと真顔になった彼女が申し訳なさそうにつぶやいた。 一瞬前はしゃいでいたのが嘘のようなそのしおらしい姿に苦笑しつつ、神奈子は諭すような声で言った。 「それは仕方ないわ。私もここではまだまだ新参者。信仰をしっかりと確保するまではあなたたちの感情を逆なでするわけにもいかないでしょう?どっちみち自我が芽生えた時点で力は弱まってしまっていたのだもの。いずれまた別の方法を考えなければならなくなっていたでしょうね」 そう、自分は少し急ぎすぎていたのだ。目の前の少女を慰めるための嘘ではなく、今は本心からそう思っている。 幸いにも時間だけはたっぷりとあるのだ。エネルギー改革はゆっくりとじっくりと進めればいい。 「ありがとうございます神様。あとひとつ配達先を残しているので、私はこれで失礼しますね」 ぺこりと頭をさげて飛び去っていった彼女を見送りながら、神奈子はつぶやいた 「変わったわね。あの子」 == 「うう、冷えるねぇ」 ほの暗く、じめじめとしていた洞穴の中に、およそ似遣わない少女の声が反響する。 洞窟は一年中温度の変わらない世界だ。今の季節、人間であればひんやりとした空気に心地よさを感じるくらいだが、灼熱地獄の高温に慣れてしまった彼女にとってはその空気は肌寒いものに感じられた。 声の主は火焔猫燐。死体を持ち去っていく不吉の妖怪だ。普段彼女はもっと奥の灼熱地獄跡にて怨霊を管理しているのだが、今日はなぜか洞窟の最浅部、地上との境界付近に出てきていた。 最浅付近の風穴は寒いだけでなく、まるで時が止まってしまったかのような静寂の世界。 喋り好きなお燐にはその静寂がたえられない。無意識のうちにさっきから貧乏ゆすりを始めてしまっている。そうまでしてここに留まる理由はなぜなのか。 いらいらした彼女が愚痴のひとつでも言おうと口を開きかけた時、馬鹿でかい声が空気を震わせた 「おまたせー!毎度おなじみ文々。新聞です!」 あまりの声の大きさに思わず耳をふさいでしまう。全身の毛が逆立っている。 「ちょ、うるさいよ!もうちょっとボリュームさげておくれよ!」 「ごめんごめん、ついうれしくなっちゃって。あ、これが地下の分の新聞ですよ」 声の主は紙の束をお燐に渡す。お燐は新聞を受け取りに来ていたのだ。 「ひいふうみぃ……うん、丁度だね。後はあたいにおまかせ」 「よろしくお願いしますね。あ、そうだ、さとり様はお元気ですか?」 「あ、ああ……ぷっ……元気……くすくす……だけど……」 燐の声が震えている。寒さのせいではなさそうである 「どうしたんですか?」 「どうしたんですか?だって……ぷぷっ……その喋り方……似合わないよ」 とうとうお燐はげらげらと笑い出してしまった。 「だって、営業のためには普段から練習しておかないと……」 「だからって……ぇ、あたいにまでそんな喋りをする必要ないじゃないかぁ……」 お腹を抑えながらひととおり転げまわったあと、呼吸を整えてようやくまともに喋れるようになった。 「まったく、あんたはいつまで経っても変わらないね。おくう」