文が結婚することになった 「7年越しの付き合いなの」 私に報告した時の文はただひたすらに笑顔で私はかえって拍子抜けしてしまった。 もっと後ろめたそうな表情でもしてくれれば妬みもできたのかもしれないがそれすら許してももらえずに。 私にはその屈託の無い笑顔がただひたすら眩く映るだけだった。 披露宴は明日だ。 烏天狗の結婚など滅多にないことだから、今頃山は準備大忙しだろう。 本来ならば私も式の準備などを手伝うべきなのだろうが…… 「あ、女将さん、やつめ一つ追加ね」 「はいはい、ただいま♪」 私はこうしてひとり夜雀の屋台で酒を呑んでいる。 こうしているのは、あいつへのささやかな抵抗のつもりだった。 でも 一人夜雀の歌をぼんやりと聴きながら思うのはあいつのことばかり 「不思議な奴だったよねぇ……」 グラスを傾けながらひとりごちる。 私も文も烏天狗としては変わり者だ。 烏天狗は集団行動を好み、だいたい群れているものだが、彼女と私は一人でいるのが好きだった。 もっとも、ただの出不精な私とは違って、彼女の場合は人里に出ていただけ、という違いはあるが。 ひとりもの同士ウマが合うのだろうか。文とは顔を合わせる度に新聞についてよく議論していた。それは親しみを込めたものだったこともあったが、大抵はお互いに容赦の無いものであった。 でも彼女と話すときは変に気負う必要がなかったし、ボロクソにやられても後味の悪い気分になったことはなかった。 そして彼女もまた、私に対しては気楽に話しかけていた。 ……と思う。 だがやや卑屈で、いざとなると集団に妥協してしまう私と異なり、文は一人でいても寂しさを微塵も見せず常に堂々としていた。少し大げさにいえば「孤高」という言葉がぴったりだった。慣れ合わず、妥協せず。それでいて集団の中で衝突もせず、うまくすりぬけていく。 私はたぶん、そんな彼女の姿に憧れに近い感情をいだいていたんだと思う。 そしていつしか文を目標にして執筆活動をするようになっていた その文が結婚する そんな素振りは全く見せなかったのに 先を越されたことよりも私の中の文のイメージを壊されたことの方がショックだった。 追いつくべき存在が、憧れとはまた異質な存在になってしまって、目指すべき道標を奪われてしまったみたいで。 悔しさと寂しさで涙が滲みそうになった時 「こんばんはー!みすちー!」 馬鹿でかい声が夜の闇に響き渡った。 「あ、ほたてさんこんばんは!」 「ほたてじゃないわよ、はたてよ、は!た!て!」 横目で闖入者を睨みつつ席を詰める。 このやりとりを何回繰り返しただろう。こいつが私の名前を正しく言える日はきっと永久に来ないのだろう。 闖入者の名前は霊烏路空。地霊殿の主が飼っている地獄烏である。 なんでも核融合という厄介な力を手に入れたらしく、その力を使って地上侵略を企てたこともあった。 そんな物騒な鳥だが、みょんなことから文が拾って家でかくまっていたことがあり、それ以来文に懐いている。 「あんたは山の手伝いしなくていいの?大事なおねーさまの結婚式でしょう?」 「うーん、エンカイで難しいお話が続いてて、めんどくさいから抜けだしてきた!」 「いいのかなぁ。IAEAの査察が入るわよ」 「あいえーいーえー?」 「いやなんでもない、大人の話よ」 「えー!私もおとなだもん!お酒のめるもん!」 「難しい話が嫌になって逃げ出したきたのに?」 「うにゅう……」 あまりいじめるのも可哀想になったので、おそらくお腹を空かせているだろうこの大きな雛鳥に 鰻の串焼き(八目鰻は苦いので苦手らしい)を奢ってやることにした。 空はうにゅ!と一言鳴いた。お礼のつもりかもしれない。 「そういえばさ、文がいなかったらこうやって二人で話すこともなかっただろうね」 「そうかなぁ?」 「そうよ。私は文と違ってそんなに出歩かないもの」 「ああ、しゅざいね!お姉さまと一緒に行くのだいすきだよ。みすちーにも会えたし」 歌いながら串焼きを焼いている女将が少し頭を下げた。うなづいたらしい。 ああ、この店も文がいなかったら知ることもなかったんだろうなぁなどとぼんやりと考えつつも私は若干の違和感を覚えていた。文はこれほどまでに他人に慕われるようなやつだったろうか。 「あんたのこと猫っかわいがりしてたよねぇ、あいつ」 「猫?あ、おりんも連れてきてあげればよかった!」 「そうじゃなくてさ」 会話にならない会話。まるで初級日本語教室だ。 苦笑しつつ目の前の生徒に難問をふっかけてみる。 「あんたは寂しくないの?文が結婚しちゃってさ…」 空にとってはまさに晴天の霹靂だったようで、さっきまでの笑顔が嘘だったように表情が曇った。 「うん。寂しいよ。上手く言えないんだけどね、おねーさまをとられちゃったみたいで」 空は悲しそうに目を伏せてしまう。 しまった、と思った。こいつにこんな顔をさせてしまったことにはさすがの私でも幾許かの罪悪感を感じる。脳天気に見えてこいつにもやはり葛藤があるのだろう。 「私が最初にあった時はね、お姉さまはね、とっても寂しそうだったの。口には出さないけれどね、私にはわかるんだ。最初に会った時のさとりさまにそっくりだったから。だからね、私は一緒にいなきゃって思ってたの。私がいなくなるとお姉さまは本当にひとりになってしまうから」 空の話を聞いて私は内心少し驚いていた。馬鹿だと思っていたがこの地獄烏、変なところは鋭い。 たどたどしく話す空の話を私は黙って聞いてやることにした。 「でね、お姉様にコイビトがいるって聞いた時、すっごく泣いたの。でもそれで気づいたんだ。本当は私がお姉さまに甘えたかっただけなんだなって。私ね、もうお姉さまに甘えたり、一緒にいるのはね、やめたほうがいいのかもしれないってそう思うの。私は本当は地獄にいるべきで、お姉さまはだんなさんと山にいるべきなんだって」 話すお空は涙ぐんでいた。水漏れで臨界事故が起きやしないかと少し心配になった 汚染されたホタテなんて誰が買ってくれるのだろうか。って、誰がほたてだよ! 「でもね、私嬉しいんだ。お姉さまがもう寂しく思わなくてすむから。それに私にはお燐やさとり様がいるもの。もちろんほたてさんやみすちーもね!」 屈託の無い、まるで青空みたいな笑顔で空は笑った。 私に結婚の報告をした時の文にそっくりだった。 「そうだね。おくうちゃんの言うとおり。射命丸は寂しがり屋さんね」 それまで黙っていた女将が嘴を挟んだ。 「ほら、やつめと鰻の串焼き2本おまちっ♪」 「ああ、ありがとっ」 「うにゅー♪」 こちらの口が串焼きで塞がれたのを確認した後、女将が口を開いた。 「あいつはね、器用に見えるかもしれないけど案外不器用なの。いつも聞く役だからかな。自分のことは上手く話せないの」 女将は遠い目をして話した。 「意地っ張りで、疑い深いくせにそのくせ傷つきやすいんだよ。まるで雛鳥のまま大人になっちゃったみたい。だから一旦信頼しちゃった相手にはべったりしちゃうんだ」 困ったように微笑んだ。まるで手のかかる娘の話をする時の母親のように。 「ああ!わかるわかる!!気に入った相手にはすっごく優しくしてくれるんだよね!」 「案外尽くすタイプなのかもね♪」 盛り上がる二人。彼女たちは私の知らない文を知っている。寂しがり屋で、不器用で、でも一途。 もしかしたら、彼女たちから見たら文の結婚はあまり意外なものではなかったのかもしれない。 でもそんな一面を見せられるほど、彼女たちは文にとって心を許せるな存在だったのだろう。 逆に言えば、そういった面を見せてもらえなかった私は、所詮文にとっての「その他大勢」に過ぎなかったのだ。 疎外感で顔がこわばる。二人の声がどこか壁を隔てて遠くから聞こえてくるように感じた。 「そういえば」 そんな私に気づいたのか気づいていないのか、空が急に話題を変えた。 「ほたてさんの話、よくしてたね」 「え?」 思わず聞き返してしまう。 「うん、新聞書くときはいつも言ってたよ。『あいつには負けられない!あいつのアドバイスは悔しいけど的確だ』って」 「そうね『文章は負けるからせめて写真だけでも勝ちたい』って、私に写真よく見せてくれたな。私たちには新聞の相談はできないから、あなたと新聞のお話できて嬉しかったんじゃないかな」 はっと見開いた目には涙が滲んでくる。 彼女もまた私に親近感をいだいていたのだ。そして女将や空には見せない一面を私に見せていたのだ。 その親近感は私が彼女に抱いたそれと同じ物かどうかはわからないけれど。 「きっと、ここは、あいつにとっての『巣』だったんだ……」 思いついたことをぽつり、つぶやいてみる。 女将がいて、空がいて、そして私がいた、あいつにとって安心出来る場所。羽根を休ませる場所。 そして大きくなった雛鳥は巣立っていったのだ。パートナーを見つけて。さらに高い空に。 「ほたてさんは結婚しないの?」 やっぱり来たか。しれっとした顔でなんという言を聞くのだこのデクノボウは 「たぶん、私はひとりかな」 考えながら、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。 「文は私の憧れた文じゃなくなってしまったから。だから、その代わりに私が文になるんだ」 目の前の空でなく、自分に言い聞かせる。私はきっとあいつの幻影を追い続けなければいけないのだ。 こんな回答をしてしまう私はまだまだ雛鳥なのかもしれない。 でも、私には羽根を休ませる「巣」がある。文の残してくれた「巣」が。だからもうちょっとだけ甘えてみよう。 くすりと笑い、ふと念写機の画面に目を落とす。 写した文の写真。 その映像に重なるように覗き込む私の影が写っていた。